平本 亘 Official Blog

関西学院大学 国際学部に通う学生です。大学生でも応募ができる国連ユースボランティア(UNYV)でボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボにある国連人口基金(UNFPA)で活動しています。大学では教育開発を専攻しており、教育×SRHR(性と生殖の健康)という視点で、日本・世界を見ています。

【ボスニア・ヘルツェゴビナ】世界一物騒なスナイパー通りを紹介します。

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「【ボスニア・ヘルツェゴビナ】世界一物騒なスナイパー通りを紹介します」にお越しいただきありがとうございます。

 

平本 亘(@follow_me_peace)です。

この記事を書いている2019年12月現在、ボスニア・ヘルツェゴビナで生活しています。

 

今回の記事では、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボにあるスナイパー通りを紹介します。

 

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボに、スナイパー通りという何とも物騒な名前のストリートがあることをご存じでしょうか?

なかなか耳にしないような名前のストーリーの由来なども紹介します。

 

目次

 

 

世界一物騒なスナイパー通り

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現在のスナイパー通り

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボの中心を通る大きな道は、現在 路面電車も行きかいとても活気があります。

そんな道は現在 スナイパー通りと呼ばれています。

 

1992年に始まったボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争中に、首都のサラエボはセルビア系軍に包囲されました。

 

サラエボ包囲中、サラエボの町はセルビア系軍に完全に支配されていました。街の至る所にセルビア系軍のスナイパーが潜んでおり、買い物や散歩をすれば標的になるような状況でした。

 

当時

スナイパー通りを通る者は、女子ども関係なく撃ち殺す

と言われていたようです。

 

スナイパー通りは、サラエボの中心を通る大きな見晴らしがとても良いため、スナイパー通りを横切ろうとするとスナイパーにほぼ確実に狙われました。

 

このことからスナイパー通りと呼ばれるようになったようです。

 

スナイパー通りの周辺

現在、スナイパー通りの周辺には商業施設が立ち並び、交通量の多い道路になっています。

 

サラエボ市内で最高級なスイスホテル

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2018年に開業したばかりのスイスホテル。

サラエボ市内最大のSarajevo City Center(SCC)も併設し多くの市民が買い物に訪れます。

 

St Joseph's Church

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美しいデザインのSt Joseph's Churchです。

 

ホリデイインホテル

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ボスニア紛争中に各国のジャーナリストを保護したとして有名なホテルです。

ホテルルワンダに少し似ているでしょうか?

 

トラム(路面電車)のホーム

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サラエボ市内の移動をする際に使いたい路面電車のホームがあります。

路面電車の少ない日本では味わえない感覚かもしれません。

 

最後に

今回の記事では、世界一物騒なスナイパー通りを紹介をしました。

 

現在のスナイパー通りを見るだけでは、なんでもない大きな道です。

ただ、25年前にどんなことが起こっていたのかを知って、スナイパー通りを見てみると見え方も違ってきます。

 

是非、スナイパー通りで思いを馳せてみてください。