平本 亘 Official Blog

関西学院大学 国際学部に通う学生です。大学生でも応募ができる国連ユースボランティア(UNYV)でボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボにある国連人口基金(UNFPA)で活動しています。大学では教育開発を専攻しており、教育×SRHR(性と生殖の健康)という視点で、日本・世界を見ています。

日本人が少ない国。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

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みなさん、こんにちは。

平本 亘 (@follow_me_peace) です。

 

この記事を書いている今現在

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都 サラエボという街で

生活しています。

 

そんなボスニア・ヘルツェゴヴィナ

日本人はたった30名ほどしか住んでいません。

 

日本人にとって

ボスニア・ヘルツェゴヴィナという国は

少し縁遠いのかもしれませんね…

 

今回の記事では

そんなボスニア・ヘルツェゴヴィナについて

「日本人」という観点から紹介します!

 

 

学校で習ってたの?ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

 

今回 ボスニア・ヘルツェゴヴィナへの派遣が決まった際

ボスニア・ヘルツェゴヴィナに行ってきます!」と

伝えると…

 

「え?どこそれ?」

「アフリカ?」

 

という、反応をたくさんもらいました。

 

以前、僕がアフリカの国々を旅行したことがあったので

その影響が少しあったのかも知れませんが…

 

なにせ、

日本人が30人ほどしか住んでいない国なので

あまり知られていなくて当然なのですが…

 

実は

日本人、ひいては世界中の人々が

学校で習っているはずの国なのです!

 

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都はサラエボ

サラエボと言えば…

 

第一次世界大戦の引き金となった

あのサラエボ事件が起こった国なのです!

 

学校の授業では

サラエボ事件のがあったサラエボという地名は

出てきても

ボスニア・ヘルツェゴヴィナという国名までは

出てこなかったですよね。

 

というのも

当時はまだ、ボスニア・ヘルツェゴヴィナという国は

存在しなかったわけで…

 

ボスニア・ヘルツェゴヴィナという国名自体は

とても新しいものなのです。

 

とは言え

今現在 僕が生活している

ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都 サラエボ

 

意外とみんなが知っているような

所だったのではないでしょうか?

 

 

意外と日本語が通じる?ボスニア・ヘルツェゴヴィナの不思議

 

僕がボスニア・ヘルツェゴヴィナの空港を出て

SIMカードを買ったキオスクでこう言われました。

 

「日本人ですか?」

「私、日本 大好きです!」

 

もー目が点です。

え?って感じでキョドってしまいました。(笑)

 

というのも

ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは

日本の漫画やアニメが流行っているようで。

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Anime Klub Sarajevo

Facebookでもこのようなグループができるほどのようです。

 

ただ、これだけではさすがに…ですが

実は

サラエボの大学で

日本語を教えている方がいらっしゃいます。

 

サラエボ大学の哲学部で

日本語講師と勤務されている

宮野谷 希さんです。 

 

Yahoo!Japanの記事でも紹介されていました!

news.yahoo.co.jp

 

サラエボの観光名所となっている

子ども戦争博物館 (WAR CHILDHOOD MUSEUM)に訪れた際

日本語を話すスタッフさんが受付をされていて

すごく嬉しかったのを覚えています。

 

 

とはいえ、

滞在2週間で日本語を話せる方に会ったのは

2人なので多いとは言えませんね。(笑)

 

 

親切すぎる?在ボスニア・ヘルツェゴヴィナ日本大使館

 

海外に行って

日本大使館の人と関わることってそんな無いですよね。

 

僕もこれまで行ったことのある国で

大使館の人と接する機会は一度もありませんでした。

 

よく考えてみれば…

アメリカ在住日本人なんて数えきれないだろうし

 

3月に行ったケニアでさえも

800人近いと聞いた記憶があります。

 

そんな国で

一人一人の日本人と関わっていけるほど

そんな都合の良い話はなさそうですね。

 

しかし、

ここは日本人が少ないボスニア・ヘルツェゴヴィナ

 

在留届を出した途端から

名前まで覚えてくれそうな勢い!

 

今現在 生活している住居は

大使館が紹介してくれた不動産から借りている家。

 

不動産曰く

本来は5か月じゃ貸せないんだけど

日本の大使館と仲いいから良いよ~

 

とのこと。

 

日本人の擁護が各国大使館の任務だそうで

それをすごく感じられる体験でした。

 

ここまでしてくれる大使館は他にあるのか

分かりません!

 

 

映画の影に消えた?ボスニア・ヘルツェゴヴィナ

 

そんなボスニア・ヘルツェゴヴィナには

暗い歴史があります。

 

ユーゴスラヴィアという名前を聞いて内戦を

思い浮かべる方はいるのではないでしょか?

 

ここボスニア・ヘルツェゴヴィナでは

約25年前まで民族間での対立がありました。

 

そのような混乱の中で

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ東部にある

スレブレニツァという街で大量虐殺(ジェノサイド)が

起こりました。

 

しかし、

日本人にはそこまで知られていないのではないでしょうか?

 

内戦があったのは知っているけど…

という方は多いはず。

 

ほぼ同じ年に起こった

ルワンダでのジェノサイドを取り扱った

ホテル・ルワンダ』という映画が有名になったために

 

この頃のジェノサイドと言えば

ルワンダ!という印象が

日本人の中では強いのかもしれません。

 

まとめ

 

以上

今回の記事では「日本人」という観点から

首都であるサラエボに住んでいる僕から

ボスニア・ヘルツェゴヴィナを紹介しました!

 

日本人がとても少ないボスニア・ヘルツェゴヴィナですが

とても親日の国のようです!

 

少しでも

ボスニア・ヘルツェゴヴィナを身近に感じてくれた

嬉しいです!