平本 亘 Official Blog

関西学院大学 国際学部に通う学生です。大学生でも応募ができる国連ユースボランティア(UNYV)でボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボにある国連人口基金(UNFPA)で活動しています。大学では教育開発を専攻しており、教育×SRHR(性と生殖の健康)という視点で、日本・世界を見ています。

知らない言葉に囲まれるということ。

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みなさん、こんにちは。

 

平本 亘(@follow_me_peace)です。

 

僕は今月の後半から

東ヨーロッパに位置するボスニアに・ヘルツェゴヴィナ

サラエボという街に派遣されています。

 

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このサラエボという街に着いてから

たった5日しか経っていませんが

早くも一つ目の悩みの種を抱えてしまいました。

 

それは、ずばり【言語】の問題。

 

ボスニアという国では

現地の言葉である

ボスニア語・セルビア語・クロアチア語(ほとんど同じだそう)

という言語がはなされています。

 

聞いている限りでは

イタリア語やドイツ語、ロシア語に近いような感じなのかな?

って感じです。

 

これらの知らない言語に囲まれて

生活するということが

かなりストレスの溜まることなのだと

こちらに来て初めて感じました。

 

というのも、

英語圏の国にいるときは

僕自身もある程度 英語が理解できますし

 

また、英語は世界共通語という認識があるため

話し手も自分に聞こえているのが

前提で話していることが明らかです。

 

しかし、

世界的にはマイナー言語である

ボスニア語が自分の周りで話されていたら

何を言っているのか、見当もつきません。

 

「あーなんか自分のこと話しているな~」

って感覚的にはわかっても

 

褒められているのか

はたまた悪口でも言われているのか、、、

 

それさえも分からないのです。

 

 

今回のサラエボ派遣において

言語を習得することが大きな目的ではないですし

(基本的な挨拶や日常会話などは覚えて帰るつもりですが…)

何となくやるせない感じになってきました。

 

 

そんな言語や話題に入り込めず疎外感を感じることは

みなさんもあるんじゃないでしょうか?

 

 

なーんてことを考えていると

日本でも自分の周りの日本語に不慣れな海外の友だちの中には

同じような状況に置かれている人がいるんじゃないかと

思うようになりました。

 

 

自分が日本で生活しているときのことをイメージしてみて…

 

外国人の友だちと一緒のグループにても

日本語がメインの会話に自然となっているのではないか?

 

そんなときに彼らは

どのようにかんじているのだろう?

 

そう振り返るきっかけになりました。

 

 

自分がその立場に立ってみて初めて感じるこの疎外感。

 

海外に出てることによって

違う文化にはいってみることによって

知らない言語に囲まれてみることによって

 

初めて見えてくる日本という国。

 

日本ほど海外から訪れにくい国はないのでは?

とさえ思ってしまいます。

 

ほとんど単一民族と言われ

他のどの国も使っていない言語を話す。

 

 

このボスニア・ヘルツェゴヴィナという新たな世界で

 

そんな当たり前の日常に

自分が今まで日本でとっていた行動に

 

違和感を感じることになりました。